『日の名残り』カズオ・イシグロ(その二)2017-11-03

2017-11-03 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2017年11月2日
『日の名残り』カズオ・イシグロ
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/02/8719470

カズオ・イシグロ.土屋政雄(訳).『日の名残り』(ハヤカワepi文庫).早川書房.2001 (中公文庫.1994)
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/310003.html

この小説が、失ってしまったものへの哀惜の念の小説である、ということはすでに述べた。だが、この小説は、それだけのものではない。ちょうど『細雪』が、喪失したものへの哀惜の念の小説でありながら、同時に、戦前の阪神間の中流階級の生活誌とでもいうべき側面をもっているのと同様、『日の名残り』も、20世紀前半の英国のある側面をきりとってみせてくれている。

時代的背景としては、第一次大戦から第二次大戦までの間。主な舞台となるのは、英国貴族の邸宅。だが、この小説の主人公は、貴族ではない。貴族の主人につかえている「執事」である。執事には、執事としての、プロフェッショナルの仕事がある。今は年老いた執事が、かつての時代を回顧して語る枠組みになっている。

その構造は複雑である。

まず、主人公・執事という視点の設定にある。執事であるからには、その邸宅で行われる行事の裏方全般をとりしきらなければならない。決して表に出る仕事ではない。そして、その貴族の邸宅で行われる行事……外交にかんする非公式の会議……もまた、表だった政治の世界からすれば、裏側に位置することになる。この意味で、執事の仕事は、二重に閉ざされた裏側の世界で展開することになる。だが、それはそれとして、そこにはプロの仕事が要求される。

また、主人公のつかえた主人がどのような外交的立場であったかというと、歴史の結果を知っている現代の我々……それは、当然ながら、この小説の語り手もその視点に立ちうるわけであるが……から見て、決して評価できるという仕事ではなかったことになる。(はっきりとそのような評価が書いてあるわけではないのであるが、そのように読める。)

しかし、にもかかわらず、執事は、その仕事のプロとして、その会議を支えねばならないし、その会議に関与したことが、ほこりでもある。

決して歴史的、政治的には評価されることはない行事、それに裏方として関与することへの、屈折した(というべきであろうか)矜恃の意識。これが、ほろにがい哀惜の念とともに、語られる。

ともあれ、20世紀前半の英国の貴族の邸宅での執事の仕事とはこんなものであったのか……その当時、貴族の政治、外交への関与はどんなものであったのか……ということについての、ある種の歴史情報小説のような側面が、この作品にはある。それへの興味関心が、この作品の大きな魅力になっていることは確かである。

第一次大戦から、第二次大戦までの間、英国の貴族が政治、外交の面で、どのような役割をはたすものであったのか、これを大きな背景として、そこで仕事をした執事という役職、それが、もう今では無くなってしまったこと……その邸宅も、今では、アメリカ人のものになってしまっている……への哀惜の念、あるいは、かつての偉大な時代の英国への懐古の情、これが、しみじみと語られるところに、この作品の妙があるといってよいと思うのである。

そして、うまいのは、その語り口である。実に淡々とした述懐でありながら、政治的には波瀾万丈の時代の裏側を、丁寧に描いている。

この作品は、一種の歴史小説といってもよい側面があるのだが、しかし、これは、歴史書としては描けないだろう。文学、小説というものでしか描くことのできない、ある時代の、ある社会の、ある人びとの生活と歴史を描きだし、語ることに成功している。文学、小説というものが、なにがしか人の心を動かすものであるとするならば、まさに、この作品は、文学であるというにふさわしい。