『虎に翼』「女賢しくて牛売り損なう?」2024-04-07

2024年4月7日 當山日出夫

『虎に翼』第1週「女賢しくて牛売り損なう?」

「頭のいい女が確実に幸せになるためには、頭の悪い女のふりをするしかないの。」

歴代の朝ドラでいろいろと名台詞があったと思うが、そのなかでこの母のことばは残るものになるにちがいない。

これまで朝ドラでは、いろんな女性を描いてきた。時代のなかで突出した生き方をするような女性もあった。また、その一方で、普通に生活して結婚してという生き方を選ぶ女性も描いてきた。

たまたま、同時に再放送がはじまった『ちゅらさん』などは、ごく普通に生きようとした女性であるといえよう。(この朝ドラは、以前の再放送のときほとんどを見ている。脚本は岡田惠和。『おひさま』も『ひよっこ』もごく普通に生きようとした女性の物語であった。)

前作の『ブギウギ』は、時代の流れのなかで自分の生きたいように生き、才能を開花させた女性の物語であった。

その前の『らんまん』とか、以前の『ゲゲゲの女房』とかは、内助の功の物語といっていいだろう。

『虎に翼』は、法曹の世界で、ガラスの天井を打ち破った女性……ということになるのだが、特に女性の権利を主張するということではないらしい。自分の思ったこと、言いたいことを言える場所を探すと、たまたま法曹の世界がそこにあった、ということのようである。こういうタイプの女性像というのは、朝ドラの歴史のなかでは珍しいと思うが、どうだろうか。

このドラマのいいところだと思うのは、寅子(さすがのATOKでも、「ともこ」からは変換してくれなかった)の生き方、価値観を、その時代に生きたその他の人物と併行して描いていることだと思う。すでに指摘されていることだが、このドラマのちょっとした場面にそれを感じる。女学校の近くの橋の上を行き交う人びと、神田の路上で風呂敷包みを抱えてたたずむ少女。おだんご屋さんのお客さんたち。それから、女学校の先生。それぞれに、生きることの苦労をかかえていることを感じさせる。その多くの人びとのなかで、このドラマとして、寅子にスポットをあてている。だが、その背景には、同時代を生きた多くの人びとのいろんな生き方があった、ということを感じさせる。

通常は、通行人などは主人公が際立つように目立たない存在として映すのだが、このドラマの演出は違っている。

同級生の親友の花江は、女学校在学中に結婚することを実現する。このような生き方もあった時代である。(女学校の場面で、女学校の生徒が窓からバケツの水を捨ててはいけないと思うけれど。)

画面の作り方が丁寧だと感じる。さりげないシーンだったのだが、母のはるが昔を回想するシーン。丸亀の旅館のなかの一場面が映っていた。本を読む少女の姿があったが、それが母の若いときの姿だったのかもしれない。女学校に行きたかったが、行かせてもらえなかったと、母は語っていた。このようなところは、語りだけで済ませることもできるが、数秒の映像をいれることによって、ぐっと説得力が増す。

女学校の先生もどんな人生を歩んできたのだろうかと、想像することになる。たぶん、東京女子高等師範学校の附属の高等女学校だと思うのだが、そこの教師をしているということは、その当時にあっては、ハイレベルの教育を受けた女性の一人と言っていい。そのような経歴があって、自分の教え子が、法律を学ぶために進学したいと言い出したときに、ちょっと待ちなさいと言うことになる。素直に進学を勧めることをためらわせるものがあったにちがいない。

寅子は、神田駿河台の大学に進学することになる。モデルは明治大学である。神田界隈が学校の街であった経緯については、鹿島茂の『神田神保町書肆街考』に詳しい。

時代設定は、昭和六年。満州事変の年なのだが、このドラマでは世相にかんすることは出てきていなかった。これから、時代背景をどのように描くことになるかも楽しみである。

ところで、週の最後のところで、桂場はお団子を食べることができたのだろうか。これがちょっと気になるところであった。

尾野真千子の語りがとてもいい。

次週、いよいよ法律の勉強ということになるらしい。楽しみに見ることにしよう。

2024年4月6日記

おとなの人形劇「人形歴史スペクタクル 平家物語」2024-04-07

2024年4月7日 當山日出夫

おとなの人形劇「人形歴史スペクタクル 平家物語」

一九九三年の放送である。その当時、時々見ていたとかと思うのだが、きちんと見たということではない。

NHKの人形劇というと、「チロリン村」のことを憶えている。子どものころのことである。「八犬伝」も時々見た。

『平家物語』といっても、吉川英治の『新平家物語』が原作である。『平家物語』の現代版は、いくつかあるはずだが、あまり知らないでいる。NHKの大河ドラマでも、「平家物語」やその時代のことは、何度もあつかわれている。『新平家物語』は、読んだことがない本だと記憶しているのだが、私の若いころは、吉川英治は、まだ現役で読まれる作家だった。今ではもう読まれないかもしれない。

大衆作家としての吉川英治ということについては、ポピュラーカルチャー研究、大衆文学研究という観点から、研究の必要があるだろう。専門には、研究が進んでいるのかもしれないが、知らないでいる。(もう隠居と決めているので、論文を探して読んでみようという気もおこならないでいる。)

古典としての『平家物語』の近代史は面白い面がある。

大津雄一.『『平家物語』の再誕 創られた国民叙事詩』.NHKブックス.2013

『平家物語』が「古典」になったのは、近代になってから、あるいは、戦後になってから、ということになる。

ちょっと古いが、石母田正の『平家物語』(岩波新書)もいい本である。これは、最近になって岩波文庫で再刊になった。

それはともかく、『平家物語』は読んで面白い作品である。

人形劇の「平家物語」であるが、これは面白かった。一日に二話づつの放送になるので、半年ほど続くことになるのだろう。登場人物の心情など、ちょっと現代風にアレンジしすぎという感じもしなくはないのだけれども、それはテレビと割り切って見ると、結構面白い。

たしか吉川英治『新平家物語』について、誰かが書いていたか、話しを聞いたか……ということで憶えていることなのだが、注目すべき登場人物は、朱鼻という謎の人物。これは、古典の『平家物語』には出てこない。平家、源氏の興亡の時代を見届ける、時代の目撃者、とでもいうような設定で出てくる。

録画の設定はしてある。時間のゆるす限りになるが、これから見ていこうと思っている。

2024年4月2日記