『光る君へ』「華の影」2024-04-22

2024年4月22日 當山日出夫

『光る君へ』第16回「華の影」

今から半世紀ほど昔、慶應の国文の学生だったころ、あることから、平安貴族の日記の天気の記述を調べてみたことがある。『小右記』『中右記』『明月記』などである。これらの日記は、その日の天気が必ず記されているのが原則である。たとえば、天晴、陰、雨、など。これを調べて一覧できるようにした。(そのころは、パソコンの出る前の時代である。今ならエクセルを使うかもしれないが、ひたすら読んで紙に書いて数えて集計した。ただ、特に論文にするとかということなく終わってしまったことなのだが。)

平安貴族の日記の天気の記載を見ると、平安時代は現代の京都よりも雪が多く降り積もったことがあったようである。

『枕草子』には、雪が降ったので、庭に雪の山を作ったとある。『源氏物語』には、雪が降って少女が雪とたわむれる描写もある。平安時代の貴族にとって雪とはどんなものだったのだろうか。

雪のことと、民俗学的な解釈と、いろいろと考えることができる事例になる。

「香炉峰の雪」のエピソードは、あまりにも有名である。

平安時代は疫病の流行もあった。疫病については、近年のCOVID-19のこともあって、歴史のなかで疫病がどんなであったか考える本がでていたりする。コロナ禍の前の本になるが、

『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫).石弘之.KADOKAWA.2018

が面白かった。

疫病については、日本文学のなかでも登場する。だが、平安朝の仮名文学、『源氏物語』などには、登場しない。そのせいもあってだろうか、『源氏物語』などに関連して、平安時代の疫病のことを論じたものは、あまり見かけないように思える。

しかし、歴史についてみれば、疫病の流行、それから、気候変動による飢饉、これは歴史を動かしてきた大きな原動力の一つであったと言っていいだろう。少なくとも、近年の歴史学では、これらの要因を無視することはできなくなっていると思える。

平安京の路傍に死体が遺棄されていた状況などは、絵巻物などの絵画資料などから推測することもできる。

平安時代は、王朝貴族の花やかな文化の時代であった。このドラマの定子のサロンなどは、それを代表するものだろう。一方で、飢饉と疫病の時代でもあった。

ところで、もし、藤原公任自筆の『古今和歌集』が伝存していたら、国宝どころのさわぎではない。現存する最も古い本は、平安時代の写本である元永本である。国宝。これは、東京国立博物館の所蔵なので、時々展示されていたりする。

この回でも「あめつち」が出てきていた。この時代、「あめつち」が平安貴族たちの間で、使われていた……文字の学習ということになるのだろうか……としても、必ずしも不自然ではない。

余計なことを書いておくと、番組の最後の紀行のとき、平安時代に仮名ができて墨の需要がたかまったと言っていたが、これはどうだろうか。たしかに仮名は平安時代の初期に成立しているし、仮名で書かれた文献もある。だが、それが墨の需要をたかめたとまでは言えないだろう。当時、書かれたものの大部分は、変体漢文で書かれた古文書、古記録、また、写経の類であったろうと思うのだが、どうだろうか。

2024年4月21日記

「最深日本研究〜外国人博士の目〜」2024-04-22

2024年4月22日 當山日出夫

レギュラー番組への道 最深日本研究〜外国人博士の目〜

私は、YouTubeは基本的に見ない。だから、VTuberということばは知識としては知っているのだが、実際にそれを見るということはない。(YouTubeを使ったのは、COVID-19のとき、オンデマンド授業ということで、しかたなしに使ったぐらいである。それも、基本は、音声データ付きのパワーポイントとした。)

バーチャル空間のなかで、美少女のアバターを使っている男性たち。美少女キャラクターは、圧倒的に男性に多い。こう書くとどうも、フェミニストというような人たちの顰蹙を買いそうな存在に思える。はたして、このような人びとの実態はどのようなもので、また、それは今の日本の社会、あるいは世界のなかで、どう受容され理解されているのだろうか。これは、とても興味深いテーマである。

日本でも研究はあるのだろう。たぶん、私の興味があまりその方面に向かないから知らないだけだと思う。しかし、テレビの番組などで、VR世界のことをとりあげるということはあまりないようにも思える。最近の技術の進歩で、このようなVRが可能になったということはニュースで扱われることが多いが、その段階にとどまっている。

NHKとしても、「レギュラー番組への道」という実験的なこころみが許されるところで、しかも、外国人(ロシア生まれのスイスの人ということになるのだろう)の研究者の視点から見るということで、この番組が出来ている。

美少女キャラクターになる、日本人男性、そして目指すものはカワイイである。カワイイということばは、私の経験では、一九八〇年代ごろから広く若い人たち、それも女性の間で使われてきた概念だと感じている。それを経て、今では、男性がカワイイ存在に自己を託すようになってきている。

街中にあふれる美少女キャラクターについては、現代ではときとして、PCではないとして、クレームがつくことがある。リベラルというような立場からは、女性のセクシュアリティを商品化している、というような批判にさらされることになる。

だが、ひとたびバーチャル空間にはいれば、美少女キャラクターであふれている。「びばにく」(美少女、バーチャル、受肉)ということばは、この番組で知った。はたして、日本語として定着するだろうか。

また、これは、一昔前のような、オタクとも違う(ように思える。)が、しかし、きちんと分析し理解できる自信はない。

おそらく、近い将来には、バーチャル世界にもAIの流れが押し寄せるだろう。AIの作ったアバターで、AIの声で活動するということあるにちがいない。もうすでにあってもおかしくない。それに自動翻訳機能があれば、簡単に国境とか言語の壁を越えられる、かもしれない。

この人間の世界のことを考えるのに、バーチャル空間のことをふくめて考えなければならない時代になったことは確かだと思う。そして、人間における性の問題とも深くかかわる。おそらくバーチャル空間は、人間が持っている性(生物的な、また、文化的で社会的な)から、解放されることが可能な世界として、これからの人間の世界のなかに存在することになるだろう。

しかし、また、バーチャルな世界だからこそ、現実の世界の、職業、社会的階層、性別、社会的文化的な背景などから自由であると同時に、それらが無意識のうちにはいりこんでくる世界になるかもしれない。その日本的な現れが、男性による美少女キャラクターということになるのかとも思う。

2024年4月18日記